毎年、1月17日を迎える度に 胸が痛いです

ご訪問いただき、どうもありがとうございます。さて、24歳(震災発災当時)の僕は何をしていたのか、それ以前に、どういう考え方をしていたのか。ウェブアーカイブでとりあえず、現状残っている箇所のリンクをご承知おきください。

1)http://kobe.cool.ne.jp/inazo/page1000117a.htm 

Fantasy On-line Page #1(000117a)

エントランス  稲造トピックス ■黙 祷震災直後に圧死された方瓦礫の下で救出が間に合わず、生きながら焼かれてしまった方土砂崩れ、地滑りに遭われて亡くなられた方借金や生活環境の激変などに苛まれて精神を害し、自殺、あるいは孤独死された方病死された方、運転中に事故死された方――いつ、自分の世帯に降りかかってきてもおかしくはなかった状況下生かされた、という事実をかみしめつつ謹んでご冥福をお祈り致します――■24歳だったその朝、まだ見ぬ妻に揺り動かされる――そんな夢を見ていた(僕は3DKほどの小綺麗な、ベイエリアにある新築マンションに住み、そこには同じ歳ぐらいの妻がいた)「ねー、あなた、起きて、起きて」「んー、まだ眠いんだ、勘弁しろ」(妻とおぼしき女性は、マットレスの分厚いベッドに乱暴に座り、壁に背を向けて横になっている僕の肩をゆさぶる)ドーン! ゆっさゆっさゆっさ――「ねー、ねえったら!」 ごちッ!「おい、なにも殴ることはないだろう!」(……あ、あれ?)(そういえばオレ、どこで寝てたっけ? 確か「布団」だったはず……)(マットレス? 妻? 妻なんかいない……何でベイエリア……ここからは海は見えないはず――)(なら、遠くでガラスの割れている音はいったい――)■起きると――築30年近くなろうという、自宅の2DKの和室。もうろうとした意識。朝が来る前の暗さの中で、母が照らす懐中電灯だけがまぶしく、あちこちを照らし、確かめていた。立っていたはずの家財は、どういうわけかことごとく倒され、はめてあった戸棚のガラスは、例外なく何者かによって叩き割られていた。母親はすでに着替えを済ませ、てきぱきとガラスを拾っていた。母親の声は、いつになく緊張し、興奮していた。(何が起きたのだろう)「起きた? 無事なん? あんたも着替えて手伝いなさい! まったく、もう!」「は、はい?」(……何だか状況が飲み込めないし、わからない)「揺れたのよ! ドーンって! 地震! 地震やて! 気ィつけへんかったんか?」「ま、まさか。地震って……」(ここは大阪だろう。そんな、常識で考えたって揺れるわけがない、普通……)「あんなにキャーキャー言ってたのに、あんた、ぐっすり寝てたん?」「そ、そうだけど……」家人には呆れられてしまった。後日、あの夢の話をすると「お前はどこまで脳天気なせがれなんだ」という反応をされた。■とにかく家

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2)http://kobe.cool.ne.jp/inazo/page1000117b.htm 

Fantasy On-line Page #1(000117b)

エントランス  稲造トピックス ■水の確保水道は、まだ大丈夫そうだった。が、後で知るのだが、これは集合住宅の屋上に設置された貯水タンクによるもので、午後1時頃、水の出が悪くなってきたので、なべ、かま、洗面器などに、とりあえず飲料水を確保した。小学校へ向かった。小学校には、到底飲用に適さない、臭い葉っぱの浮いた水が、2つのゴミバケツに置いてあるだけ。近くの雑貨店でとりあえず、ブリキのバケツを2個購入し、トイレ用の水ぐらいなら確保できるだろうと、武庫川の河川敷に向かった。武庫川の流量はさほど増水しておらず、小さな堤を歩いて対岸まで渡れる程度に水が引いていた。川にはほとんど人影が見えない。二級河川まで水を汲みに行こうと考える人間は、他にいない。自衛隊所属とおぼしきヘリコプターが、南東の方角から、北西の方向に向かって、3機だったか、とにかく濃緑色のヘリが編隊を組み、低空で飛んでゆくのが見えた。カラのバケツを両手に持ち、思わず両手を拡げ、空に合図したりなんかして――(川の真ん中で、あるいは目立っていたかも知れない)水は汲めても、運搬が大変。自転車では水平がとりづらく、1キロも走らないうちに、ほとんどこぼれていた。もっとアホくさくない方法があると知ったのは、1月18日、給水所とされた市役所の支所に、灯油用の18リットル、ポリタンクを提げている市民を見てからだった。■ポリタンクを求め、大阪府・茨木市へ――とりあえず、近隣ではポリタンクが悉く売り切れていて、話にならなかった。阪急電車を東へ。塚口、園田では時間帯のせいか、被災のせいか、店自体が営業をしておらず、十三まで出て、十三という街は、ちょうど高田馬場のようなところなので、ポリタンクは売ってないだろうと予想し、十三では下車せず、阪急京都線の急行に乗り換えた。最悪の場合、遠縁の親戚のいる琵琶湖近辺、大津市付近……近畿の水瓶まで行けば、どうにかなるかも知れないと思ったからだ。これは東京都民が、相模湖や奥日光を目指して水やポリタンクを求めるのと、同じような感覚だと思う。後に「ああ、尼崎・杭瀬のレジャー用品店にあったよ」と聞いたた時には、「うああ、そりゃ盲点だあああー」と叫んだものだ。1月18日、まず阪急茨木市駅で降りてスーパーを探す。が、どこも売り切れ。(野菜なんか要らないんだ、ポリタンクって、ありそうで、ないんだなー、こいつらみんな

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3)http://kobe.cool.ne.jp/inazo/page1000117c.htm 

Fantasy On-line Page #1(000126)

エントランス  稲造トピックス ■1月21日夜、陸自第二師団の給水車来る!稲造が、河原でバケツを振りかざして絶叫したのが効いたのか知らないが、団地に給水車が来た。陸上自衛隊には、ああいう車両まであるのかと、その装備品の多様さに驚いた。迷彩服にヘルメットという服装の彼ら。迷彩塗装され「災害派遣」と書かれた特殊車両。独特の轟音を立てて回るディーゼルエンジンとポンプ。車両から立ちのぼる水蒸気。何だかわからないナンバープレート。いそいそと無言で任務を全うする3人の隊員。実はすでに、京都府向日市や、奈良県五條市の給水車も、わざわざ遠くから来ていたのだ。(縁起でもない例だが、仮に川崎市が壊滅した場合、山梨県甲府市や、静岡県沼津市から給水車が来るような感じ)が、この陸自さんが夜中に出張って来られた時だけはすっかり、自分たちが戦争被災民にでもなった気分だった。兵隊さんよ、ありがとう。欲しがりません、勝つまでは!彼らは「職務」というより「ミッション」つまり「任務」で来ているのだ。何を問われても終始、無言。たとえばミリタリーマニアならシャッターを切りたくて堪らない光景だろうが、目下こちらは、それどころではない。■夜を徹して国道を行き交う、消防車、パトカー、給水車けたたましいサイレンが、ひとつやふたつではない。また、スピード違反や酒気帯び、あるいは急な腹痛どころの騒ぎではない。夜中に行き交う特殊車両の数が、平時とはまるで比較にならなかった。数台~十数台が一団となって、真夜中であっても数度は通過し、否応なく眠りを破るのだ。あまりに頻繁に眠りを破られるから「眠れないならこの目で見てやろう」と思い、国道沿いまで行った。震災後数日間は特に、国道171号線(京都-高槻-箕面-伊丹-西宮を結ぶ国道)を、他府県警察、消防の特殊車両が、一団となって走り、ひたすら兵庫県神戸市をめざしていた。大阪府各市や大阪市の消防、ならびに京都・奈良・滋賀の各県警察は、いずれも緊急走行だった。赤色灯をあんなに一度に見せられたのは、生まれて初めてだった。パトカーが大挙して越境してくるのも、珍しいといえば、非常に珍しい光景だった。昼間でも、自衛隊、見慣れないガス会社の車両、水道工事、スーパー、コンビニの配送車、いずれも「災害派遣」「災害物資輸送」等の垂れ幕を車両の先頭につけ、検問を受けていた。特に、国道2号線の武庫川橋梁東詰

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これが、発災当時の一番古いウェブの記録です。当方では、まだ PC-486P は所持していても、インターネットが出来るようになったのは、それから数年後のことになるのです。なので、まだ文章がぶっきらぼうで、幼い感じがします。50歳になろうとしている今の段階で記録を見ていると、思うんです。文章幼いなあってそう思うんです。もう少し気を遣え、とも叱りたくなるんですが、自分で自分自身を。取り急ぎ、1月17日を前にして、昔の記録のリンクを張っているところです。ではでは。

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