どうにかなるさ?

田所稲造(ハンドルネーム、ペンネーム)田所憲雄(本名・日系日本人)

1970年、福岡県北九州市小倉区宝町(初代・小倉記念病院)生まれ。出生名:横尾憲雄。千葉県千葉市若葉区東寺山町出身、兵庫県尼崎市武庫之荘(西昆陽)在住。

6歳から9歳の頃、福岡県北九州市の公害病認定患者(気管支喘息)だったことがある。父親が転勤族(新日鉄化学)だったため、プラントがある津々浦々に引っ越したがために、極度の人見知りになり、また、方言がチャンポンである。

幼稚園は、村端学園・志徳幼稚園に入園。小中学校は、北九州市立守恒小学校川崎市立富士見台小学校川崎市立宮前平小学校。福岡県から上京したときは、コンビニエンスストアのおにぎりのフィルムの剥き方を知らずに、全部剥がして、同級生に笑われていた程の田舎者。日能研・たまプラーザ校に半年通うものの、もっぱら趣味は「買い食い」だったので、勉強身に付かず。宮崎台駅のプラットホームで泣き出したので、友人が母に報告。中学お受験塾は半年で終了。宮前平の自宅が分譲マンションの賃貸貸しだったので、1年で転居。千葉県印旛郡富里村立日吉台小学校→千葉県印旛郡富里町立富里北中学校。

中学校当時は、漠然とアニメーターになりたいと考えていて、父親の8ミリ撮影機で、アニメポリス・ペロ(東映系列・千葉県船橋市)で紙・機材を揃えて1コマ1コマアニメを撮影し、出来上がったものは、何だか分からないものが、ちょろちょろと動く3秒程度のもので、とてもアニメとは言えないものだった。同級生と違って、街の文具店でコピー機を使った同人誌(主に、うる星やつらなど高橋留美子のイラスト集)を作るほどののめり込みよう。そんなこともあって、15歳の春(中学浪人)を経験する。当時は家が貧しかったので、公立単願で、千葉県立富里高等学校を保健室受験(気管支喘息)。

中学浪人になってしまった横尾憲雄を、どうしてくれようか、と父母・中学担任が悩んで考えたこと。まず、父の親戚が、8ビットパソコンを持って来たり、集会所のワープロを許可を得て打たせてもらい、今で言うところのライトノベルのようなもの(ライトノベルもどき)を、当時最先端だった3.5インチのフロッピーディスクに保存したりして悦に入っていた。中学担任は、陸上部顧問のかたわら、夏休みの集中講義(主に数学)を特別にしていただいた。マンツーマン指導。

1浪の末「同じ成田学区に、同い年の先輩がいることに我慢がならない」として、公立単願で、千葉市蘇我(全県学区)の、千葉県立千葉工業高等学校・情報技術科に合格の上で、教頭による面談。「あー、君は将来何になりたいのかね」「従兄と同じようなシステムエンジニアになりたいです」と、軽はずみで言った結果、なんと入学許可。

最終学歴は、通信制高校(兵庫県立青雲高等学校通信制普通科)卒、専門学校(ポリテクセンター兵庫)修了。放送大学 選科履修生(ベンチャー企業論)中退。ティーンの頃は、千葉県立千葉工業高等学校全日制情報技術科に3年間在籍。

20歳のときの3月、父親と母親の調停離婚が成立し、子の氏の変更申立千葉家庭裁判所に行い、横尾姓から田所姓に変更する。母親と自分が生活するために、ありとあらゆる職種に就く。家電量販店アルバイトを振り出しに、百貨店契約社員、機械設計、商業印刷DTP・文字校正、ガチのプログラミングエンジニア、コピー機商社のインフラ系エンジニア、テクニカルサポート、テクニカルライティング、サーバーエンジニア、ネットワークエンジニアなどを経験。

25年前、25歳の時に、兵庫県尼崎市にて阪神大震災を経験する。勤労学生控除を受けながら、月~金はDTPオペレーターを行い、土日で通信制普通科(神戸市長田区)に通い、高校卒業。(普通科、工業科、商業科簿記会計1の単位を取得)

17年前、仕事中に統合失調感情障害を発症し、現在もなお自宅療養中。一時期は母を介護していたので「8050問題」「老老介護」に陥るものの、市の介護保険の「住所地特例」を使って母には自立してもらうことに。目下、テクニカルライティングを行う(ネットウイングス)と共に、ライトノベル執筆とそのコラム(ファンタジーオンライン)の2サイトを運営。

ここ(ファンタジーオンライン)を始めたきっかけは「ネットウイングスとして街の人に無理やりITを売り込むよりも、むしろ、興味のある人に、物語を見せてお買い上げいただいた方が人に愛されそうだから」と実感しているため。

かつて、人力インディーズライトノベルサーチエンジン「小説 大好き!」の管理人を引き継ぎ、運営が難しくなり、管理人としての限界を感じたので、株式会社ヒナプロジェクト(小説家になろう)に事業譲渡した経験がある。

学生時代は、声質がさだまさしに似ており、高音域が出て、特に変声期もなかったことから、一時期はリスペクトしているさだまさしのギター弾き語りを得意としていた。(現在は、ギターのネックが壊れたので、ギターを所持していない)

職業柄、誤植と誤字脱字、国語表現などにやかましく、植字やデジタル写真のデザインセンスや品質などを一度語りだすと、なかなかうるさい50歳。

好きなことをやってきた割には、移り気で気まぐれなので、プロフェッショナルというよりは、どちらかというとジェネラリストで、やりたいことをやってきた割には、時代おくれのテクノロジーに成り下がってしまった。これから何ができるかな、尼崎市シルバー人材センター入所の60歳まで、何もしないと思うものの、早くも老後の生活を心配している。(厚生障害年金として、老後の年金を前借りしているため)